Coaching Potential

アメリカ生活の思い出1

7月4日はアメリカの独立記念日です。その日は祝日で、前後の週末とくっつけて休みを取る人も多く1年のうちで大きなイベントの1つです。

私も夫とアメリカには14年住んでいたので、アメリカ生活を懐かしく思い出しています。独立記念日はバーベキューをするのが定番で、季節のイベント好きな私たちも家でバーベキューをしました。そして夜は各市町村で花火が上がります。日本の花火のような華やかなものではないのですが、家から歩いて10分くらいの場所から花火が見え、花火が終わった時には皆で拍手をして、アメリカ国民でもないのに何故だか少し胸がジーンとしました。あれは何に対してジーンとしたのでしょうか(笑)

当時住んでいた家の周りの散歩道
友人の家の庭で

そもそもアメリカに行ったのは日本でアメリカ本社の会社に働いていた夫が、アメリカに転勤になったからでした。それまでヨーロッパが好きでヨーロッパには住みたいと思っていましたが、アメリカには特に興味がありませんでした。それでも人生の新しい扉が開く気がしてワクワクとした思いで、アメリカに行くことを決意しました。初めは数年のつもりで行きましたが結果的には14年も住んだのです。

そしてそれがやはり人生の大きなターニングポイントになりました。それまで東京で外資系の銀行で働いていた私は、アメリカ人に日本人との働き方やコミュニケーションのやり方を教える異文化研修の仕事をきっかけに、人材開発の道に入りました。そしてそれが今のコーチングの仕事につながるのです。

私が住んでいた西海岸のシリコンバレー(サンフランシスコ近郊)は、ハイテク産業のメッカということもあり、ともかく新しいこと、人と違ったことをやることが正義だという空気があり、銀行員からコーチへという転換を後押ししてくれました。何か新しいことを始めるだけで Congratulations!という言葉をかけられ、やってみてうまくいかなかったらそこから学べば良いさ、と失敗することを恐れないというか、失敗を失敗とあまり重く受け止めないゆる〜い風潮がありました。

そういう考え方を全て肯定するわけではありませんが、何かを始めるには計画を綿密に立ててなるべく失敗を避けようという感覚が強い日本の文化から来た私には新しい風であったことは確かです。

アメリカでの経験により、「やらなければ」という義務感ではなく「やりたい」という気持ちの強さに従ってみることや、思いついたらまず動いてみるというフットワークの軽さを身に付けた気がします。でも考えてみるとアメリカに住むという決断をしている段階で、もともと私のどこかにそういう部分があったのが、周りの環境に助けられて表に出たのかもしれませんね。

そうすると、当たり前ですが、どういう環境に身を置いて、どういう人が周りにいるのかということは自分の人生の行き先を左右する大きな要素ですね。

14年もいましたから、アメリカ生活の思い出はまだまだありますので、このテーマはシリーズ化していきたいと思います(笑)